◇市橋とし子・桐塑人形の世界◇

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市橋とし子・桐塑人形の世界

 桐塑とは新語で「おひねり」のことである。どこにでもある生麩糊と捨ててしまう
ような桐のおが屑、台所の払い下げのお鍋一つあれば広い場所もいらず、どこでも製
作できる。お団子をこねるような要領で煮えた糊を桐粉の中でこねる。糊粉仕上げ、
和紙貼り、布貼り等の仕上げで製作される。桐塑人形の源流は、江戸時代の雛人形や
衣装人形の頭部や手足など、商品として多数製産するための型抜きに多く使われてき
た技法ではあるが、今日の創作人形においては、その材質の持つ特徴を彫塑的な技法
として生かしたものである。

 平成元年(1989年)3月24日、文化財保護審議会は重要無形文化財保持者
(人間国宝)の新分野として「桐塑人形」を指定し市橋とし子(本名:登志・190
7―2000)をその保持者に認定した。

 約半世紀に渡り、和紙張りの人形を中心に幼児、少女、老人ら老若男女の自然な姿
を健康な感覚で表現され群像作品が多いと、その業績が紹介、評価されていた。
 「市橋とし子先生、この度桐塑人形創作に精進され人間国宝として輝いたこと、心
から慶祝申し上げます。私は15年前(1974年)に先生の「春深し」の作品に出
会ったことが縁でございました。その作品を見る度に過ぎ去った秋田時代の辛い、悲
しいことを忘れ、来る春をどんなに待ち望んで生きてきたかしれません。「春深し」
の作品に励まされ、内に秘めた希望を燃やし続けて参りました。昨年のお正月に先生
のお宅にお伺いした時、先生は「私の人形は平和がテーマであります」と話されたこ
とが印象深く感じられました。平和こそ私の願いでもあるからです。作品と出会った
ことで、先生を他人のように感じられませんでした。これから愛で満たされた平和の
作品が生まれますことを心から祈念します。」と私はその時お祝いの言葉を贈った。

 市橋とし子との出会いは1974年のことである。その2、3年前に私は夏風邪を
こじらせたことで体調を崩し、河田町の女子医大病院に通院していた。診療の帰り道、
日本橋の高島屋に立ち寄り何気なく画廊に入ったところ、市橋とし子の桐塑人形展が
開かれていた。展示されていた「春深し」の作品を見て心を奪われた。「春深し」の
乙女の服装が、私が育った秋田の風俗に重なり、無性に故郷が懐かしくなり何故か涙
ぐんでしまった。たんぽぽの綿毛をフッと吹きかけている仕草の愛くるしさと作品が
語りかける春の息吹が私の病を癒してくれたように思えた。私はその作品をコレクショ
ンしたくなり、店員を呼んだところ、「本日は市橋先生がいらっしゃいますので御紹
介します。」と紹介された。

「まあ私の作品のどこが良くて。普通のおばあさんなのよ。年寄りの遊び、趣味みた
いな人形だから仕様もないわよ。人形作りが好きでいじっているのよ。」と屈託なく
話されるので、すっかり魅了されてしまった。神田の生まれという、さばさばとした
江戸っ子の歯切れの良さと庶民感を感じたからだ。話が進む中で戦争の話になると
「戦争はいや!ひどい戦争を体験したでしょ。戦争なんて悪魔のするものだと思って
いるの。人形は平和のしるし、人形はだませないのよ。」と自作の人形に秘めた平和
への祈りを吐露された。また私が韓国人であると知ると「私などは当時何も存じませ
んでしたが、過ちは繰り返してはならぬ事と深く感じます。」と率直に日韓の歴史に
触れた。人を思いやる自然さに真心と人間性の温かさを感じた。独学で学んだという
市橋とし子の人形は女性や子供の表情などに慈愛に満ちた温かな眼差しがあり、日本
的な情感と哀愁がある。その端正な表情には存在感=「形」があり、その完成度が内
に秘めたものを更に浮き彫りにしているように感じる。

 先生と語らいながら思いを巡らしていた時、人形の魅力の不思議さを歌舞伎役者の
板東玉三郎氏が語った言葉を思い出した。「人形ってわかるとかわからないとかいう
もんじゃないと思うんですね。人に会ったのと同じで、わかりっこないわけよね。も
うお互いに言葉がないのね。」市橋とし子は人形にこそ、現実と無縁のものどころか、
大きな使命感を感じるという。このような形で市橋とし子と、その作品世界に出会え
たことは理屈や言葉のいらない、大げさではあるが運命的なものではなかったかと今
にして私は思う。

 昭和15年(1940年)、市橋とし子はふと巡り会った今村繁子(女流人形作家
の草分けの1人)に支持して伝統的な創作人形の技法とその真髄を学んだ。戦後、市
橋とし子の製作する人形は和紙貼りの桐塑人形を中心に、衣装人形・木彫人形等に及
び多彩を極める。作品の主題を身近な生活にとり、一貫して日常生活の延長線上での
幼児、少女、老人等の自然な姿態を暖かく表現されている。それらの作品に見られる
的確な構成力は、彫刻デッサンや木彫等の造形的な基本によって培われたものであり、
繊細で優美な詩情(心の隅に置き忘れた懐かしさの心の詩)を素朴に、生き生きと市
橋とし子の精神が凛として輝いている。

 1907年東京神田生まれ。東京女子高等師範学校卒業。24年第1回、25年第
2回現代人形美術展特選。日展などにも出品し、日本伝統工芸展では38年より入選、
62年勲四等瑞宝章、平成元年重要無形文化財「桐塑人形」の保持者に認定されたの
である。人形製作を芸術の領域までに高めた偉業を称える。女性の目と感覚で大地に
しっかりと足を据え、社会を見据え、本質を見つめた市橋とし子の生活の軌跡である。
素直で飾らぬ清潔で健やかな精神と前向きに人生を楽しみながら創作した「人間の妙」
「人間の愛」が人形に現れている。

 「その時々の自分自身の熱い想い、季節の想い、社会で起こった事への想いを人形
に込めた。人は皆幸せでありたいという願いから、世の中の移ろいの様や、生きる喜
び、悲しみ、時の流れの中に生きていて良い世の中に、人間に対する真実のために、
みんなが生きていけますように、その祈りを人のかたち、つまり人形で表現した。」
と市橋とし子は語っている。作品の対象が常に人であるということに深い意味と使命
感を持つ。人間讃歌そのものと言え、また作家の人生観が作品の全てである。

私に遺された市橋とし子の人形コレクションを語る

「春深し」(1951年木芯桐塑布紙貼)は市橋とし子との出会いの作で感慨深いも
のである。

「温もり」(1974年 菜会女流人形展出品 木彫紙貼)
 あどけない少女が素足で立っている。綿入れの半天と長襦袢は冬の厳しい地方での
生活には欠かせない服装である。福々とした容姿は当時貧しかった者の願望と希望で
ある。斜めに見つめた視点の先に何があるのだろうか。その眼差しに幸せへの誘いを
感じる。

「水ぬるむ」(1976年第6回伝統工芸新作展出品 木芯桐塑布紙貼)
 切り株に座っている丸髷を結った乙女は何を想っているのだろうか。綿入れの半天
に質素な絣の着物を羽織っている。「春深し」と共通する想いの作品である。水ぬる
む頃、この乙女はどこへ旅立とうとしているのか。せせらぎの水音と春の息吹が乙女
の前途を奏でているような世界である。

「慈しむ」(1980年第27回日本伝統工芸展出品 木芯桐塑布紙貼)
 福々とした母の襟先をしっかりと握り乳房を無心に吸っている赤子。赤子を愛おし
く抱き、見つめる母親の温かな眼差しに万国共通の愛を見ることが出来る。私の母も、
こうして私を抱いて育んでくれたのだろうかと思うと感謝と喜びが満ちてくる。

「稲波」(1983年第30回日本伝統工芸展出品 木芯桐塑布紙貼)
 農作業の後の一服なのだろうか。あぜ道の一隅で語り合う2人の乙女の談笑に花や
木々、小川のせせらぎ、蝶や小鳥たちが色を添えて共に語り合っているようだ。労働
の厳しさの中での憩いは新たな活力となる。穂波が実る秋の収穫までに繰り返される
労働と休息、私にはそれが人生の縮図にも見えてならない。

「少年の日」(1985年第3回伝統工芸人形展出品 木芯桐塑布紙貼)
 両手を床につき、腰を下ろして両足を前に出しているセーター姿の素朴な少年。
 「私、子供が好きなんです。だってたくさんの未来を持っているでしょ。でも、こ
れは今の少年と(感じが)違うかもしれないわね…。今は少年か大人かわかんなくなっ
ちゃっているとこありますからね。洒落けがあってね。洒落けが悪い事じゃないけれ
ど」世の中の色にすり寄っているような、犯されているような。「そうね、ほんとに
少年らしい少年というより…いきなり大人になっちゃうのかしらね。まだ食べるもの
も何もないって言ってる方がいいのかしら。ほんと、純粋だったわ…。」
(「田中館哲彦著 人形はだませない」より)

 この少年の面影には私の少年時代を沸々と甦らせる。自身が投影されていると思う
だけでも愛おしく思える作品である。少年時代は誰にでも懐かしい記憶である。

「きれいな空」(1986年第4回伝統工芸人形展出品 木芯桐塑布紙貼)
 若い母親と、その母親に守られるように正面に並んで立つ二人の幼子が、空を仰ぐ
ように見つめている。服の色は濃茶。

 「これは空襲の時のものです。もう粗末なモンペは手放せませんでしたからね。一
晩としてきれいな空ってなかったんです。夜中に必ず空襲警報で飛び起きなくちゃい
けない。そして縄を伝って真っ暗な穴蔵の中に入っていくのね…。」
 その闇を裂いてきれいな、明るい空を見たい−切実な想いが込められた作品である。
(「田中館哲彦著 人形はだませない」より)

 私はB29の焼夷弾の空爆で逃げまどい、生死におののいて終戦を大阪で迎えた。
その日の空は、私には明るかった。この像のように、助かった、生き延びたと空のか
なたを見つめ、さあこれからどう生きるかという切実な想い。この光景は日本人はも
とより、アジア人の共通の想いではなかっただろうか。

これらの作品は展示会に出品展示されカタログに収録されている。

市橋とし子個展      1994年1月27日〜2月3日 銀座和光
市橋とし子人形展 東京展 1998年2月11日〜27日 伊勢丹美術館(新宿)
         仙台展 1998年3月20日〜31日 藤崎
         新潟展 1998年6月18日〜23日 新潟伊勢丹
         京都展 1998年7月1日〜20日 美術館「えき」KYOT

         静岡展 1998年8月6日〜11日 静岡伊勢丹
         千葉展 1999年2月17日〜3月22日 千葉そごう美術館
市橋とし子と花影会展   2001年9月21日〜10月2日 長崎大丸

また文献としては
芸 堂刊「人間国宝辞典」(1992年)
汐文社刊「人形はだませない」田中館哲彦著(1997年)
アリア書房刊 緑青Vol.22(通巻52号)「人間国宝の作家たち」(2004年)に収録されている。

2005年1月26日