◇転位する日本画◇

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最近、日本との文化交流が活発になってきた。2002W杯の時は日本人も抵抗なく大韓民国の活躍に声援を送りW杯成功を共に果たした。しかし60代以上の旧世代は今も日本の植民地政策の「恨」を抱き日本を良く思わない人が多い。だが20代、30代の若者達は屈託なく日本に関心を持ち親近感を抱くようになった。若者達のパワーが韓日関係を変えたと言える。日本語の普及も日本と韓国が遠い関係から近いものにした。過去は過去、未来志向でやっていこうという前向きな関係、グローバル精神の流れは理にかなっている。

 韓日国交が成された当時、韓日間の往来は年1万人程度であった。しかし現在1日1万人の往来があるという。その事実が韓日間の親密さを雄弁に語っている。一般的に韓国人は日本人に対しどんな良いイメージを持っているのだろうか。親切で笑顔が良く、礼儀正しく丁寧におじぎをして挨拶する。真面目でよく働き、きれい好きである。アニメーション等のサブカルチャーの面白さ、電化製品や自動車の性能が良く、ハイテクの生活をしている。通勤やラッシュの時の交通マナーが整然としていて、時間に正確である。寿司が美味しく、観光資源が多い国であると答えることが多い。「百聞は一見にしかず」はこれらの事に於いて生きた格言であった。

 韓国国立中央博物館に日本の近代美術品約200点が、朝鮮戦争の戦火を免れて秘蔵されていて事が話題となった。日本が朝鮮半島を支配していた時代、旧朝鮮王朝「李王家」が蒐集、或いは寄贈を受けた横山大観、川合玉堂、前田青邨、土田麦僊、鏑木清方等の日本画の大家を含むコレクションであった。

 98年度から日本の文化開放がなされ、その政策の一つとして、広く日本文化を韓国国民に触れてもらう目的で、W杯成功を祈念した国民交流年の昨秋、国立中央博物館で半世紀を超えて日本近代美術品を公開した。

 それまでタブーであった日本近代美術に触れた韓国国民は、日本に関心と新たな認識をしたと思う。過去は過去、芸術は芸術として再評価し合う両国の文化交流が相互理解を深めた。2003年春には東京、京都と日本にも巡回されるので楽しみである。

 「日本画」についてであるが、芸術の世界で隠されがちな国家や市場を、その名前故に意識させる存在である。しかし「日本画」の名称の在り方や存在を問題として最近、日本が揺らいでいる。国家名を頂いた「日本画」は終焉を迎えるのか、新たな広がりを見せる可能性はあるのかという論争である。

 一体どんな絵画が「日本画」であるのか。「日本画」にどんなイメージを抱くのか。どう定義、規定しているのかと問うとはなはだ曖昧で、紋切り型の答えしか返ってこない。一般的に花鳥風月的な絵や仏画、平安時代の絵巻物語や安土桃山時代の寺院の襖絵、江戸時代の文人画、浮世絵、そして現代では東山魁夷や平山邦夫のような絵を、思い浮かべるのではないか。基本的には素材に岩絵具を使用し膠で溶いて、または墨で和紙や板に描いたものが日本画だと、曖昧に認識しているようである。

 日本画が持っている季節感や、日本人であるという土着的な時空感や大衆性、生業と生き方から来るイメージから答えているようだ。イメージは全ての人が抱く尺度ではあるが、日本画の見えそうで見えない実態を答える事は難しいようだ。それは日本画の主題や問題の確認、素材等の単純な問題ではないからだ。花鳥風月、美人画、絵巻、襖絵、文人画、仏画などは韓国にも、中国や東アジアに共通している表現であり、素材も岩絵具、墨は同じものである。日本的であるという実態としては、素材から見れば曖昧なものであり、それを問い直そうという変革の問題意識が、1985年以降出てきた。

 素材や技法、制度は日本画の定義の一要素でもあるが、挑戦的且つ先鋭的に素材の枠組みを外して、素材の面白さを生かしたリアリティと個々の時代の表現がなされていなかった。日本的なものとして支える為の、社会的制度や作家のスタイル、構え、訴えの主題性が定まっていない。日本画に何が出来るのか、何に拘り、何に期待すべきなのか。日本画という曖昧な概念の亡霊に囚われ答えを、見つけることが出来ないでいたという反省からだ。

 そもそも歴史的に見ると、日本画の定義は明治期に入り洋画との対比で受け継がれて来たものである。日本列島に於いて生成発展した日本の美術は風土的、地理的条件を負っている。温和な海洋的気候や四季の規則的な変化が、美術の表現に多大な影響を与えたと思われる。歴史時代に入り大陸との交流の中、各種の文化が次々もたらされた。朝鮮、中国との文化的接触は古墳時代後期(5〜6世紀)から、技術者集団の渡来によって進んだ金工等の技術がもたらされ、やがて600年前後の仏教伝来による信仰の定着に伴う、盛んな造寺造仏が日本美術の新しい展開を生んだ。飛鳥時代には、南北朝ー隋の中国美術が朝鮮三国を通して、複雑な様式的影響を与えた。統一新羅を経由して、初唐の新様式が急速に流入し奈良時代美術として開花することとなる。こうした外来美術への意欲的且つ柔軟な対応が明治以後、西欧の美術に対しても積極的に発揮されることとなる。

 日本画とはやまと絵、和画と言われ、外来の西洋画法と対比される日本の伝統的な画法に立つ絵画という意味で「日本画」という言葉が、明治以降に使われるようになった。しかし伝統的な画風に立つ絵画と言っても、江戸末期には土佐派、住吉派等の大和絵派、狩野派のような漢画系、宋達、光琳の流れの琳派、文人画とも言われる南宋画、円山応挙や呉春によって流派化した円山四条派、近世初期風俗画から始まり、江戸時代の浮世絵となっていく風俗画派などがあった。明治時代に入るとそれらは影響しあい、西洋画の影響も加わっていくこととなる。日本画は西洋画に対し固有性を主張し、古来の伝統絵画に対しては近代的統一性を特色するものと考えられている。このような近代日本画の土台の下、現代に至るまで多彩な新様式を時代と共に織り交ぜ発展したものである。

 1988年から1998年に至る十年の間に「日本画」とは何かという、現代絵画としての「日本画」の可能性を探る重要な展覧会が開かれた。「ニュージャパニーズスタイルペインティング」山口県立美術館1988年、「現代の日本画と日本画イメージ」O美術館1993年、「現代絵画の一断面・日本画を越えて」東京都現代美術館1993年、「日本画・純粋と越境」練馬区立美術館1998年等がそれである。そこには戦後「日本画」の風土性とその時代表現の模索と葛藤があった。西洋近代モダニズムがほどけ壊れていく近代への反省があり、近代への転換を見直す展覧会であった。

 「日本画」は一般的には和紙に膠で溶いた岩絵具を顔料として、日本画材で制作する事が伝統絵画であると思われていたが、現在「日本画」という「概念」そのものが80年代末から転位の兆しがある。「日本画」が精神的に、社会的に、どのように機能していたのか。「日本画」に代表される「日本的なるもの」「日本美」なるものを、どう位置づけるのかという問題意識である。日本画自体の実作の動向の変化や日本画についての言辞的、制度論的な出自の探求によって日本画史を発掘し、埋もれた歴史を検証し変革しようという動きである。

 「現代日本画」の本質を考えてみると「日本画」という名前も絵画としての在り方も、日本列島社会の近代化の過程で作り出されたものである。近代国民国家形成の過程で、従来の諸画派を「国民絵画」に統合することで作り出されたもので明治期の神社統合の過程を断面として捉えることが出来る。日本画という領域を神社統合を以て国家神道、天皇制にしようとする逸脱した企てにより、今もその信仰と亡霊が生きていると言える。政治と芸術、東洋と西洋の分類の不純さが、純粋でない中途半端な形態を制度的に定着させた結果といえる。

 「日本画」は絶対概念ではない。近代「日本」に立脚した「西洋画」と一対の相対概念で故に、戦後の民主化と国際化によって日本画の未来は、次代の世界観と歴史観によって転位し、本質は常に人間存在を問い、アイデンティティを求めるべきであると考えるようになった。今、日本画は終末期にあると言える。近現代の世界体制と世界観の終焉、それによる「日本」「美術」概念の揺らぎを背景に、日本画のアイデンティティと史的現在を検証し日本画は終焉した後に「絵画」としてどう出直すかを考える展覧会であったと思う。

 東京国立近代美術館美術課主任研究官古田亮(ふるたとおる)は「日本画」なる言葉そのもののジャンルを、歴史化し過去のものにすること、その為全ての美術学校の科目名から「日本画」という名称を無くすこと、科目名としては「絵画」で十分である。美術館、博物館での分類名も「絵画」として一括するか、技法材料の特長を生かし「膠彩画」という分類にする。画家のジャンル化についても「日本画家」「西洋画家」という分類も無くし、同じフィールドで捉え「作家」とするのがよい。現代作家と日本画の作家と共に歩いていくというスタンスである。日本画は今後、美術館、博物館という場に於いて20世紀の遺産として鑑賞されていくだろうと発言している。

 日本画はローカルなもので世界に通用していないという批判に対し、世界から評価や共感を受けるためには日本画を越えて、現代絵画の中でどう位置づけ、見直すかという課題を持っている。次世代への可能性をかけ、日本画のジャンルや慨成のものでなく、新しいものを生み出す、新しい文化として捉える視点に立っている。現在、美術館では経済的な問題で国際的な、大規模で前衛的な展覧会が出来なくなった。そこで所蔵品による常設展示を積極的に企画し近代美術の見直しを始めている。これまで深く捉えなかった事柄を時間をかけて考えてみようという視点に立つ良い契機となっているのは喜ばしいことである。

 アクリル、油彩画など日本画材を使用していなくても、日本画的要素が入っていなくても、抽象であれ、具象であれ、ニューペインティングが絵画を立ち上げていき復興していくべきである。作品のみの勝負、絵画の力そのもの、作品の出来が良ければ世界に通じることだということだ。80年代以降の日本画はキャプションを見なければ、今までの概念で見る日本画と同じものとは思えない程だ。李禹煥の絵はキャンバスに岩絵具で描かれているが油彩画のジャンルに分類されているのが一例であり、ジャンルや素材では括れないのが現実の「日本画」である。

 「日本画」という言葉は精神構造的なものが機能し精神の中にあって見えない形で生きていたといえる。「日本画」という概念から一歩踏み出し、東洋の伝統的素材を生かし、「絵画」として偉大な芸術を生み出す現代的な創造を目指して、もがき苦しみ、日本画・洋画のいずれにも属せず現代美術でもない第3の道を模索、葛藤しているのが今の「日本画」であるといえる。

 我が国にも「韓国画」というジャンルがあるが、朝鮮画とも東洋画ともいわれてきた時代があった。また書とも呼んでいたようだ。その時々にどういう定義があったのか計れないのが「東洋画」という呼び方には時代を見ていた一つの見識があるように見える。「韓国画」も国民国家が揺らいでいくナショナリティやアイデンティティが複合的に交錯していた言葉としての意味合いを色濃く感じる。「日本画」の転位と同じく「韓国画」も東アジア的視野、グローバルな位置に立脚した視点に立って転位されていくのでないかと思う。

 21世紀は「韓国画」も歴史化され、懐かしんで見る文化になっていくのかも知れない。

朝鮮大学校美術大学講演 2003.5.13
木浦大学校美術大学講演 2003.5.14

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