◇六本木ヒルズ・森美術館◇

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六本木ヒルズ・森美術館「art+life」に向かって

 東京は刺激的でポジティブなエネルギーを持った国際都市である。戦後、六本木族などの流行語が生まれた六本木界隈は、国際色豊かな盛り場として発展してきた。六本木の繁栄は以前、防衛庁があった場所に米軍本部ハーディ・バラックスが置かれたことに由来する。この周辺に米兵を相手にしたバーやカフェが建ち並び、日本人ジャズバンドのメンバーなどが頻繁に出入りするようになって、クラブ(ディスコ)、ライブスポットなどで賑わう、現在の六本木の原型が形作られた。周辺に大使館が多いことも、六本木に外国人が多い理由の一つだ。フランス、ドイツ、中国、オーストラリア大使館などがあり、少し離れた仙台坂には韓国大使館がある。外国の路地裏にでも来たような錯覚を覚える、坂道が多い異国情緒溢れる街である。

 余談ではあるが筆者は、1960年代末から70年代初半までサパークラブ「チノバ」を、六本木の「アマンド」近くで経営したことがある。ロシア(旧ソビエト)やイタリアの大使、文学者の三島由紀夫や西木正明など多様な文化人や芸能人が来店され、それらの客が醸し出す雰囲気は日常とは異質の夜の世界であった。

 最近はビジネスタウンとして、或いはショッピングやレジャーの総合タウンとして六本木は多様な顔を見せるようになってきた。未来の全環境都市を謳い文句にしたアークヒルズ、六本木ウェイブ、スクェアビル、フォーラムビルなどが建てられ、街の形態や性格が目まぐるしく変わり、若い世代を惹き付ける街になってきた。

 2003年春に竣工した民間主導のプロジェクト、六本木ヒルズは都市の中の文化と未来を考える、示唆の多い話題を提供することとなった。東京で最大規模の東京都港区六本木六丁目の六本木ヒルズはどの様につくられたのだろうか。

 施工区域は約11.0ヘクタール、敷地面積は84,801.02平方メートル。延床面積は724,524.60平方メートル。主要用途はオフィス、住宅、ホテル(ハイアット)、放送センター(テレビ朝日)、商業施設、文化施設(美術館・映画館等)。事務所棟地上54階地下6階、住宅棟A・B・C・D棟があり、B・C棟が地上43階地下2階、総事業費2700億円(土地評価を含めると約4700億円)

地区内権利者約400名という概要である。

 主導したのは森ビル株式会社(社長・森稔)。六本木6丁目地区は1986年東京都から「再開発誘導地区」の指定を受け、民間が市街地再開発組合を設立し、森ビル株式会社との共同事業により建設を進めた。計画開始から17年間の歴史を歩み竣工となったものである。

 道路が狭いため消防車も入ることが出来ない、もし大地震が起きたならという、不安がある街を「子供達に安全な街を残したい」「安心して暮らせる街を作ろう」という開発組合との合意を元に、始まった都市再開発事業である。

 六本木を愛し、この街を世界一のヒルズにしていこう、そして訪れるお客様に世界一のおもてなしをしようという、ヒューマンな心根が成し遂げたものである。

 ヒルズの昼間人口約5万人、来客移動人口は1日30万人という、新しい街の誕生となった。真剣な英知の集結が、この事業を達成したのである。

 海抜250メートルから東京を一望、周囲360度の眺望を誇る、六本木ヒルズの中心にそびえ立つ54階建ての「六本木ヒルズ森タワー」。これまでのビルの常識を遙かに越える超高層ビルである。その最上層部分に位置する「森アーツセンター」は美術館、展望台、会員制クラブ、アカデミーなどが設けられており、世界的にも類を見ない巨大カルチャーコンプレックスとなっている。六本木ヒルズのコンセプト「文化都心」のシンボルとなる中核施設である。

 総合文化施設森ア−ツセンターのビジョンは、単に芸術や音楽といった芸術文化のみならず、人類が生み出した「美と知と技の総体」と定義している。様々なジャンルのアートやテクノロジーが一堂に会し、そこに参加する人々がOPEN-MINDに会話し、共に考え、刺激しあい、発見することによって、未来を形作る新しいアイデアが生まれる。求心力と想像力を持った、東京六本木から世界に向けた、芸術の発信拠点になろうというコンセプトである。

 六本木ヒルズは世界中の建築家が作りだした街である。隅研吾は六本木アカデミー、GMAのグラックマン・メイナー・アーキテクツは森美術館と東京シティビュー、KPFのウィリアム・ペダーセンは森タワーとグランドハイアット東京、そしてけやき坂コンプレックスの建築デザイン。C&Pテレンス・コンテン卿,JPIのジョン・ジャーディ、杉本貴志、槇文彦など著名な建築作家が参加している。

 六本木ヒルズ「アーテリジェントシティ」という概念はアートとインテリジェンスを組み合わせた造語で、芸術と知性が融合し新しい街を目指す。あらゆるエンターテイメントが詰まった六本木ヒルズの概念は、21世紀を生きる我々に問い掛ける設問の多い街である。

 「六本木ヒルズはOPEN-MINDな人を育む街、世界中の人を温かく迎え、出会いがあり新しい情報を、そして価値を創造する街。単に金持ちが住み、消費する街ではなく全ての世代が『遊べる』空間創造は全て遊びから始まるから。遊びを許す寛容さがこの街にあることを願う。」という坂本竜一のメッセージに集約されていると思う。

 街は再生能力を失って巨大な廃墟になるのか。それとも人類は更に高い知性を得て、優れた再生能力を示すのかを検証する企画展「世界都市―都市は空へ」が六本木ヒルズ森タワー竣工を記念して開かれた。そのコンセプトには森ビルのメッセージが込められていた。世界主要都市の高層化への変化を通して、都市の現在と未来を検証することは示唆多きものであった。

 ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、上海など歴史的背景や都市構造の異なる都市の事例を元に、都市模型や写真、映像などを通して世界の都市がどの様にして高層化への変化を選ぶに至ったのかを紹介し、同時に「超高層によるコンパクトな都市づくり」を一つの解答とする、東京の都市変化を世界のスケールで捉え直し、東京が今進むべき方向性を検証するものであった。

 ソウルの未来像を描くためには、ソウルという都市の現況を把握しなければならない。ソウルの都市の特徴、国際的な位置づけ、都市づくりの歴史、ライフスタイルについて、国際都市との比較、分析研究をする。また都市計画の専門家や「都市」について考える契機となり、新しいビジネスチャンスのアイデアとヒントにもなる好企画であった。

 一番高い天辺、ビルの最上階52、53階に美術館が置かれたことの意義を考える。現代美術といえば多くの人々がニューヨーク、ロンドンを思い浮かべるが東京の文化都心を作る上で、その発信源である美術館は街の象徴と成り得る。そして国際的現代美術の発信都市として、世界にメッセージを送ろうという発露には誇り高いものを感じる。現代の文化に於いて価値あるものは、何かと対話し、楽しみと刺激を与える場所となるだろう。アートはどこに向かい、どう変わっていくのかを問い掛けて、共に歩もうというメッセージには共感を覚える。

 「森美術館」の発信する新しいアートの形とは、アジアの若手アーティストの発信をして、現代アートを中心に建築、デザイン、ファッション、写真、メディアアート、映画など、ジャンルを超えて活動を展開する。我々が生きるこの時代の文化を幅広く紹介しアートと生活を結びつける役割を担おうという認識である。

 美術館の概念を打ち壊すような新しい美、新しい空間、新しい楽しみ方、夜は22時まで、週末は24時まで開かれる空中美術館。「文化都心」を標榜する世界最高水準の現代美術館の誕生を祝し幸多かれと祈念する。多くの人々が共に歩み生きる事により文化的な精神性の向上に寄与してほしいと願う。

 六本木の街の象徴である美術館の構想は17年も前に企画された。美術館の目標は啓蒙する社会性に視点を置いた「開かれた新たな美術館」である。その役割はアートとアーティスト、そしてアートを見る人を繋ぐ事である。作品を定義づけたり「このように見なさい」と押し着せない。リラックスして楽しみながら、生活の中に現代美術が入っていけば、それが文化になるのだという発想は非凡なものである。いうなれば見る人が体験できる美術館を目指そうという着想である。

 採算性を重要視し付加価値を生む商業ビルの最上階に、東洋一の現代美術の美術館を作ろうという精神とビジョンは、どこから発想されたのだろうか。森美術館は文化と商業ビジネスの融合、その可能性にかけてアートが文化となり、リスクを背負って商業ビジネスになる戦略に挑戦したわけである。これは、新たな都市の形のモデルケースとして世界が注目している。我々の生活を豊かにし、潤いをもたらす文化戦略への投資価値があることに、しっかりと視点を捉えたのは商業主義の脆さと危うさから覚醒したからではないだろうか。森ビジネスが長年の事業で培われたキャリアと磨かれた見識が、社会性へと転化したのには社会の要求する必然性があったからだと思う。

 森美術館開館記念展は「幸せ」をテーマに「ハピネス:アートにみる幸福への鍵」という主題で開かれた。異なった時代と文化の中で生きるための幸せのかたちを探る「旅」、この「旅」は人間にとっての永遠のテーマでもある。もしかしたらメーテルリンクの「青い鳥」探しのような「旅」になるのではなかろうかと、ふと思った。

 森ビルの戦略には、豊かな都市文化の創造を目指す文化事業への情熱を感じる。教育、研究、事業が融合した教育機関「アカデミーヒルズ」を拠点に新しい人材、システム、産業を創造する場を提供するところに、このプロジェクトの気高さと、未来に向けての希望と展望があるように思われる。

月刊誌「art・IN CULTURE」(2003・11月号)

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