◇中川伊作100才天寿を全うす◇

ホームへ リンクアイコン芸術へ

中川伊作・100歳天寿を全うす

 南蛮焼は南方諸島(安南・シャム・ルソンなど)から来た素朴で原始的な素焼きで、安土桃山の茶人達が宋の官窯の均整美の対極として、南方の古渡りと言って愛好され歓迎して以来、今でも使われている呼び名である。南蛮焼の原点の発生は500年位前と言われているが、2億5000年前からの悠久なる神秘性が沖縄の土壌の上に咲いたものである。 沖縄の陶器は壺屋焼に代表される「上焼」と南蛮焼の「粗焼」とがある。沖縄の人は長い間、その「素焼き」を見下していたようである。

 沖縄の南蛮焼は、古代の素焼きのような素朴で奥深い味わいがある。素焼きというものは土肌のまま焼き締め、土そのもの(土から出てくる本質的な色)を加工せずに焼く。南蛮焼は沖縄の「粗焼」の事で、着色によらず土が炎によって自然に発色する、非常に素朴で脆く焼成するうちに微妙に歪み、そのアンシンメトリカルな形が独特の装飾性を醸しだし情熱的である。

 中川伊作は沖縄に埋もれていた、滅びつつある南蛮焼を現代に甦らせ、沖縄の土塊に命を吹き込む最も原始的且つ高度な創造にロマンと情熱を注ぎ込んだ。中川伊作の南蛮焼の基本は酸化塩で焼く「赤色」。生地の色に焼締めが備前に似ているが、知花の焼がより赤いのは土に金を含むからで備前がより知花に似ているとも言える。焼肌の白い石はサンゴの破片が焼くとき飛んでくい込んだ物でこれが焼きに見えれば、これこそ中川伊作の南蛮焼である。

 沖縄は昔、海であった。サンゴ等が熱で溶かされて土の中に含まれ2億5000年もの間、海と陸が大自然の力により変化し、夥しい数の動植物の生命を包み込んできた、言うに言われぬ深い味わいが出る土である。故に非常に複雑なものである。

 形の点、装飾性という意味で、南蛮焼独特の物といえるが、炎に土が焼かれ少し形が崩れてくる。そうしてアンバランスになったところが他の物にない面白い造形性、いわば「間を取る」という、人間の意図を超えて意外な形の面白さが出たとき、初めて装飾性が生まれる。その中に非常に強い生命感を感じる事で見る側の心を強烈に打つのである。

 装飾性を価値高きものとしたのが日本の芸術の特性である。装飾とは日本の芸術は何かという根源的な問いになる。日本美の装飾の根源で最も優れたものは縄文にある。そこには不思議な呪力が漲り、写実ではないリアル性を超えたところに縄文の装飾性が光る。中川作品は装飾性が強いと同時に、遊びの要素と作る喜びが強く伝わってくる。

 土と水と火という自然が生み出す偶然との戦い。その偶然性を生かす。自然に変化がくるように事前に炎と土を窯の中で仕掛けておいて、大自然の大いなる力と働きに委ねて生まれた素朴さに強い生命感を宿す。中川伊作は土と水と炎の錬金師ではないかと思う。

 国道329号線を金武から那覇へ向かう途中、沖縄市(旧コザ市)の少し手前右側に知花城址がうっそうと茂る小山の中にある。知花焼の復活を伝える南島風土記によれば「知花は美里村の中央にあり、西原字より松本字を経て半道余、知花窯を以て知られる。尚寧時代の人名に芝巴那とあるものこれなるべし。知花窯を俗に知花焼と唱え、その手法は南蛮伝の如し」とある。南蛮焼は始め長浜に近い喜名で焼かれ16世紀に入ると知花に移った。前者を喜名焼、後者を知花焼と呼んでいる。尚氏真王時代(1682)に、今の那覇市壺屋に各地の陶窯を集めて官窯としたが、それまで知花で焼かれたとの記録がある。以来300年、消えた窯の火を灯し中川伊作が復活した知花窯は知花城址を仰ぎ見るところにある。古窯址の知花に登り窯を築いたのは本土復帰後の1977年78才の長老になってからである。太い丸太で支えられた窯場の屋根は沖縄特有の赤瓦、分厚い漆喰で塗り固められ見事な落ち着きと風格を備えている。そこには四室の窯があり正面の庇間に「知花」左に「為中川先生栄作」と書かれた大きな陶板が掲げられている。栄作とは沖縄本土復帰問題などが評価されてノーベル平和賞を受けた元首相の佐藤栄作である。

 中川伊作は画学生の頃、琵琶湖北岸の旧家で偶然安土城跡から発見されたという、草花の挿された土器酒壺を見つけ、その侘びの深さに強い感銘を受けた。1929年沖縄にスケッチ旅行に行って招かれた旧王家の一室で、それと同じような南蛮焼きの素朴な焼壺と出会った。それがいわゆる南蛮焼で渋い焼締めの寂あいに魅了され、興味を持つようになって蒐集を始めた。泥臭く土臭い、沖縄に根強く残っている土着のものに、芸術的な生命を吹き込みたいと思い南蛮焼きを始めたのが動機であるという。

1938年、それら蒐集品を京都国立博物館で陳列(南蛮雑陶の図録あり)したとき柳宗悦が見に来られ、それが契機となって民芸協会の人達30数人が沖縄に同年12月、研究に行かれた事で南蛮焼が注目されるようになった。

 中川伊作は1964年から72年までサンフランシスコの美術学校で東洋画の講義をする為に教授として招かれアメリカに十数年滞在した。その時、ローゼンクイストやリキテンシュタイン、ジャスパー・ジョンズなどのポップアートの造形思考と美学の影響を受けたことが、沖縄の南蛮焼のマンネリ化を防ぎ、新たな生命を吹き込む新鮮な造形を再生するのに役立ったという。欧米の現代的フォルムの理念と、日本的なわびさびの理想とを繋ぐ場を南蛮焼に求めたといえる。併せて版画家として培った版画木版の技法を取り入れ、自刻の版木を陶面に映す手法は独創的である。創意工夫から質の高い美を求め、私は民芸作家ではないという自負を感じる作業をした。

 中川伊作の南蛮焼のベースは日本美の装飾性であり木版画の作業の中で培われているという点に注目できる。東京国立近代美術館に収蔵されている多数の作品(特に沖縄を題材にした)を一覧した時、その飄逸な自由奔放さは一際輝いていた。形の把握と表現においてその木版画に見ることができる。

 中川伊作との出会いは1977年4月である。私は夏風邪が元でその2、3年前から体調を崩し寝込むようになっていた。余り寝込んでいても、逆に体に障ると思い何のあてもなく新宿の伊勢丹に入ったところ、中川伊作南蛮展が開かれていた。初めての陶芸展と聞いたがそのユニークさが私の気を引いた。飄々とした縄文花器や水差し、茶碗の骨太な美意識は日本人離れした感覚であった。沖縄の自然と伝統の出会いを讃歌しているようであり、南蛮焼のルーツを見たようであった。その大地と宇宙の悠久を讃えた風雅な世界。“間と遊び”のデフォルメの中には、童心をくすぐり上質な味わいに感性があった。新羅の土器やインカ、ラテンの土俗的な陶磁の源流をも見た。インターナショナルなセンスと現代性、日本的なわびさびの精神性が見事に融合されていた。多様な表現を見せられて、私は体調の悪さを忘れてその世界で遊んだ。

 まもなく店員に中川先生を紹介された。愛くるしくお茶目なクルリとした可愛い眼が作品にそのまま投影され、作品そのままの人であった。7月に入って中川先生から「年端も行かないのに体が悪いのは良くない。気晴らしに京都に遊びに来ないかい。」と招待状が届いた。それは哲学の道にある叶匠寿庵での七夕のお茶会の誘いであった。その茶会のあと大徳寺の茶室で一服、そして竜安寺の石庭と案内された。それから沖縄の知花窯を見てくれと私の家族を招待され初めて沖縄の風土にも接した。中川先生との出会いから日に日に私の体調も回復していった。中川先生のお人柄には病んだ体まで癒す力が潜んでいると私は真に思った。基本的に人間的な優しさから中川伊作の南蛮焼が生まれたのだと自然に思った。

 1998年、先生が床に伏したと言うことでお見舞いに伺った。その時、自然に出会いの時の懐かしい思い出話をした。意識や記憶がしっかりしてらして、精神力の強さに感じ入った。自分の芸術や作品を沖縄で認められなかった悔しさや無慈悲さを上京していらした時、我が家で良く語られた。床に伏した脳裏にその事が離れないのか涙を流して、淋しそうに語った。私はその時、沖縄にはよき理解者、島常賀や星雅彦先生がいるではないか、そして私もいるではないかと力づけた。「君が私の秘書になってプロデュースしてくれたら仕事がもっとよく出来たのに。」と恨めしそうに語られた。

 孫ほどの私に生前「死ぬときは一緒に死のう」とよく冗談で話された。2000年「私は120才まで生きるんだ。」と日頃語ったその願いも虚しく100才の天寿を全うされた。中川伊作の真価は沖縄の大地で花咲くことであろう。そうなることに悲観や疑いも持っていない。淋しさも悲しさも浄化される時間が必要であると思うのだ。

 中川伊作の南蛮焼こそが証明すると信じているからだ。

河正雄著「韓国と日本・二つの祖国を生きる」明石書店(2002.3.25)



中川伊作
1899 京都に生まれる
1921 京都市立絵画専門学校卒業
1928 日本創作版画協会最初の会員となる
193032 文部省主催日本版画巡回展(ルーブル、マドリッド、ジュネーブ、ロンドン、ニューヨーク等美術館展示
1938 南蛮焼コレクション百点を京都国立博物館に展示柳宗悦氏ら民芸協会員の沖縄行きの契機となる
1941 「南方華布」(京都書院刊)を著す
1960 渡米、サンフランシスコを中心に各地で個展、木版画の紹介に努める
1964 サンフランシスコ・ルドルフセーファー美術学校の客員教授となり州立大学他、教育機関において東洋画の講義。その間海外展10数回、サンフランシスコ市長より金鍵授章
1967 メキシコ・グァテマラにスケッチ旅行
1972 沖縄にて南蛮焼の作陶を始める
197790 沖縄市知花に登り窯を築く。以後、東京、名古屋、京都、大阪、山口、北九州、沖縄、各地にて南蛮陶器と木版画の個展
200012日往生 享年100
収蔵
東京国立近代美術館
国立西洋美術館
京都国立近代美術館
京都市美術館
サンフランシスコ国立美術館
スミソニアン美術館
ワシントン国立博物館
クリープラント美術館                                   

 ホームへ  リンクアイコン芸術