◇私は追って市長宛に返事を送った◇

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光州広域市市長 宋彦鍾 貴下
貴市より一九九五年八月七日送達された文書番号「文化ー八一五二〇ー一〇六九号」に対し、ご返事申し上げます。民選初代、光州広域市長として市政を遂行していかれるのに、何かと御苦労が多いことと思います。ましてや光州ビエンナーレ、オープンの日まであと三十数日しか残っておらず、ことさらお忙しいことと存じます。
 私は、七月二二日、市長にお会いし、日本に戻っていろいろと考えをめぐらせました。それは他でもなく光州市立美術館河正雄寄贈作品展示室に対する光州ビエンナーレ期間中の、展示作品に対する撤収問題の事であります。私が貴市に私の作品を寄贈した当時に交わした寄贈契約書には、永久常設保存展示することが明示されています。私は作品を光州市立美術館に寄贈した当時は、家族たちとの間に生じた多くの葛藤を乗り越えなければなりませんでした。すなわち、私の母、私の妻、息子、娘たちから理解と了解を得なければならなかったからです。しかし、我々の故郷の発展のためだという一念から私が二十数年間苦労のすえ収集した作品を、ひたすらメセナ精神に立脚し、何の条件もなしに寄贈したのです。にもかかわらず、私の寄贈作品が常設展示されてから二年にもならないというのに、展示作品を撤収しビエンナーレ国際特別展「光州五月精神展」を開催するという企画には、残念ながら常識的に見ても納得できることではありません。なぜならそれは信義にもとることであるからです。ましていわんやこの重大な事柄を、七月二一日光州訪問した私に前触れもなく唐突に、丁栄植光州副市長・姜鳳奎光州芸総会長から口頭で申し渡されるとは、寝耳に水、青天の霹靂といえる理解が出来ないことでした。
 宋彦鍾市長貴下、私もビエンナーレ期間中に私の寄贈した作品を世界各国から来られる観覧客に見ていただければどれほど誇りに思えるか、そしてそのことをどれほど熱烈に思っているか、ご理解いただければありがたく思います。特に日本と韓国内から私の寄贈作品の観覧のために期待をもって訪問する多くの人々にどう説明すればいいのか、苦渋の極みです。このような考えは私の希望にすぎないとおっしゃるのでしょうか。私は、作品を寄贈しただけでなく、光州市立美術館のさらなる発展のためにそしてましてや今回の光州ビエンナーレにいかに寄与すれば一番よいか、様々な角度から考えをめぐらし、貢献してまいりました。しかし、このたびの文書は、「大多数の意見」が正義であり、そのためには今までの経緯も無視するかのような、今回の協力要請に対しては、民主政治の良識を疑い、私を決して納得させるものではありません。しかし、これ以上あれこれ申し上げることはやめて、私の要求事項を三つだけ申し上げることとします。
 一つめは、光州ビエンナーレ期間中に河正雄寄贈作品展示室にかけてある告知板を取り外さずに、現状どうりに設置していただきたいということ。そしてこれまでの経緯を明確に表示し、河正雄寄贈作品展示室の意義性を告知していただきたい。
 二つめは、光州ビエンナーレ国際特別展「光州五月精神展」公式パンフレットに、河正雄寄贈作品展示室で開催された経緯を紹介していただきたい。
 三つめは、今回のビエンナーレを最後として、以後、河正雄寄贈作品展示室に対しては寄贈当時に契約した通り、永久常設展示されるよう特別措置をはからうという契約を守っていただきたい。
以上、芸郷光州を愛する私の心に決めた事柄を、後日のために書き述べました。市長貴下の見識あるご理解を求め、これからのお仕事に神様のご加護がありますようにお祈りしながら、心あるご返事をお待ちしています。
一九九五年八月一一日
日本国埼玉県  河正雄

 文作成の過程で、またまた納得と理解に苦しんだ。特に「大多数の意見」が正義であるかのような下りにはどうしても納得がいかなかった。少数を守ることが民主ではないのか。多数の論理と力で押し通そうとするあり方に過去の残滓を見るのは私の偏見であろうか。

 「告知板をとりはずさない」という一つめの要求だけは守られたが、私の返書に対する回答は、いまだもってまったくない。このことをどう理解したらよいのであろうか。

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