◇―春秋「清里銀河塾で心を学ぼう」―◇

テーマ:「ひびきあう心―浅川兄弟とポール・ラッシュの精神」
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〈生前の遺言〉
 河端春雄先生から2003年1月25日付の書状が届いた。
「老生は日韓合併大学の如き高等教育を夢想してまいりました。誰も耳を貸さない夢物語に断念しなければならない齢を重ねました。が、貴兄の人格―まだ2回しか接触がありませんが―つい貴兄に老生の夢を託したく…」と記されていた。

 それまで先生はお会いする度毎に現代社会の見失っている人材の養成という作業の重要性を私に熱く説かれた。

 狂瀾の世を生き、身を処した吉田松陰は純粋なる魂から絶叫して生きた理想主義者であり「狂気の思想家」と呼ばれる。松陰の思想は、その時代には「この世のものとは思えぬ」ほど「僕をもって狂となし愚となす。万々的当せり」と松陰自ら残された言葉は純粋そのものであった。国を愛し世を憤る、純粋なる心情から発する松陰の胸に通じ合った河端先生は、吉田松陰の喜怒哀楽を「孟子」に寓し、「孟子」の何がを深く思索しているとも話された。

 ひいて日韓問題、とりわけ両国の青少年交流問題について関心を持っている。日韓を近づけあう、新しい関係を築くには今の若者達に交流の担い手として立ってもらう事が急務である。

 不幸な時代を踏まえて人と人が国と国との関係を判り合い、人間的な絆を築く事で国際関係を見直して、想いを共有する新しい関係作りに繋げて行かねばならない。

 暴力や憎しみからは何も生まれないものである。希望は「歩んでいくことで、そこが道になる」と信じ、動く事、行動する事で生まれるものだ。

 河端先生は「遺言だと思ってほしい」と語り塾の開設を依願された。

〈風土は人を作る〉
 その時、私に託された河端先生の遺言(とはいえ河端先生はご健在である)は途方も無く遠い道のりのように感じられた。また私への期待も的外れではないかと思う中、3年の月日が流れていった。

 浅学で、人生経験も浅く、とても吉田松陰の思想や、日韓両国を憂え、両国の青少年のために一肌脱げと請われても器に適う者ではなく、かなり掴み所のない話で心もとない心境だったというのが正直なところである。しかしこの三年間、その遺言は間違いなく私の心に刻まれていた。

 私事ではあるが20代から清里の地で余暇を過ごすようになり、この地域、風土に育まれ人生を送ってきた。それは、この地に私が憧れ、尊敬する偉人のいる事が関係している。

 植民地下、韓国に渡り、韓国人の敬愛を受けた淺川伯教・巧兄弟と戦前、戦後の日米間を激動期を変わらぬ友愛と青少年教育に一身を捧げたポールラッシュである。

 この世に人間愛を教え施された、この先賢は在日として生きる私の師であり、目標であり、シンボルであった。
 一人の人間として真実の道を切り拓き歩まれた先賢の足跡は、清里の風土に息づいているからだ。現代を生きる人の心の根にも清里の風土、韓国の風土、アメリカの風土を重ねて見えてくるものが、この地域にはあると思われる。

 人を形成するものは「人の真実」であると思う。「人の真実」が誇り高く、求道的であれば風土、人も準じる。しかし人心乱れ、荒廃に任せれば風土、人も堕するのではないだろうか。

 八ヶ岳の山麓、清里の地域風土の中に生まれた精神を身に付ける、浅川兄弟、ポール・ラッシュの生き方から学ぶ事の意義と意味を私は見つけたいと思うようになっていった。

〈何を学ぶのか〉
 清里銀河塾で何を学ぶのか。主には国際理解と友好親善を目的に韓日青少年交流を促進する健全な青年活動家の養成であるが、その基本となる「生涯学習」について考えてみたい。

一般人(住民)は自分の為、地域発展貢献のために勉強していこう。
職業人は職業意識のレベル向上の為に勉強していこう。

生涯健康を保ち、元気に生きていく為に、世代を越え、心と体を養うために勉強していこう。

好奇心を持って自分を磨きたい、生涯成長していきたい、頑張る自分でありたいという学びの本能は誰にでもあると思う。学ぶ意味、学ぶ楽しみは生きることそのものであるからだ。

学び成熟する事で本物の自分を確認、自分の尊厳を見つける事に繋がり、自分自身を慈しみ大切にする。
そこから相手を認める人間関係を作り、人を愛する事が出来る、そんな人たちが創る成熟した聡明な社会を創っていきたい。学びあい、助け合い、共に生きることにより、互いを高め合い自己研鑽を積んでいきたい。多様な価値観の中で自ら学び、共に学ぶということは自己が決定することであり、生涯学習は自己教育なのである。学びを楽しむ文化を創造していきたい。

〈学びの旅―銀河への旅〉
 清里銀河塾は、心響きあう事を願って「ひびきあう心―浅川兄弟、ポール・ラッシュの精神」をキャッチフレーズに、若者達らとも、これからの暮らしと生きる事を「楽しむ」「伝える」「深める」「創る」「演出する」とカテゴライズし、講座を進めていきたいと思う。

 江戸時代には、庶民の旺盛なる探究心から普及した寺子屋のような私塾「清里銀河塾」から発せられるメッセージが、日韓はもとより、世界を懸ける橋になる事を夢に思い描いている。

 具体的には淺川兄弟、ポール・ラッシュの生きた時代から、その人を通して、その精神性、生き方を問い、歴史を学んでいきたい。

 大自然の大気の中で、彼らが生きた風土を五感に感じせしめ、次代を背負う、青少年の健全なる育成を考えてみよう。

 清里から富士を仰ぎ日本を考え、それぞれの故郷を考え、世界を見よう。八ヶ岳の大自然を楽しみ、我らが生きる環境を考える。その中で五感を蘇生させて鍛え、教育のもつ意味と意義、人格、人間の価値、地域貢献、国際交流について共に学んでいこう。

 河正雄の私塾「清里銀河塾」で出会い、共に学び生きる喜びや想い、疑問を共有し、更なる高みを目指す。歴史と文化に触れる「学びの旅―銀河への旅」に、福音を祈念したい。

塾長 河正雄

ご紹介

名誉塾長

―河端春雄(かわばた・はるお)―   生年月日:1926年 北海道生まれ
現住所:東京都練馬区大泉学園町  学歴:北海道大学文学部哲学科卒業
略歴:文学博士 哲学博士
 東京家政大学・東邦大学医学部・法政大学講師 東京芝浦工業大学主任教授
総合看護科学研究所長 アメリカ南ベイラー大学東アジア校学長を経て現芝浦工業大学名誉教授
著書 「ニーチェ序説」「思想史概説」「看護教育方法論」「大学の使命」「看護とは何か―哲学的分析」
「技術の思想」「実存哲学」「西洋の没落」「ニーチェ哲学の原景」「教育のためのエッセイ」
論文 「現代思想」「教育問題」等多数
講師・スタッフ(五十音順)

―李春浩(イ・チュンホ)―   生年月日:1950年 愛知県碧南市生まれ
現住所:長野県松本市  学歴:東京写真専門学校九州高卒
略歴:10年間映像の世界で仕事をする。主に劇映画に参加。作品として「はだしのゲン」「アッシイ達の街」「野生の証明」「先生」「異邦人の河」等
   さくらグループにて10年間勤務する。
   モランボン株式会社、亜商株式会社の仕事を担当する。営業課長として業績に貢献する。
   共和観光株式会社にて企画開発部長(主に人材開発・人事教育係)
   現在は韓国創作家庭料理「やんちゃ坊」経営
   映画「白磁の人」松本制作委員会事務局長
   信州渡来人くらぶ世話人

―江宮隆之(えみや・たかゆき)―   生年月日:1948年 山梨県生まれ
現住所:山梨県南巨摩郡増穂町  学歴:中央大学法学部卒
略歴:山梨日日新聞社記者として勤務。東京支社長、編集局次長、制作局長、論説委員長など歴任。その傍ら作家活動を続ける。88年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞受賞、94年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞受賞、並びに全国青少年読書感想文コンクール課題図書に選定、さらに全国高校生の必読図書にも指定された。著書に『政治的良心に従います 石橋湛山の生涯』『骨壺の底に揺られて 歌人・山崎方代の生涯』『一葉の雲』『武田勝頼 花の歳月』『母人形』(いずれも河出書房新社)『小西行長 後悔しない生き方』(PHP文庫)『沙也可』(桐原書店)『冬萌の朝 新・白磁の人』(柏艪舎)など多数。『白磁の人』の主人公・浅川巧は実在の人物で、映画化の話が進められている。

―大田幸子(おおた さちこ)―   生年月日:1967年 兵庫県明石市生まれ
現住所:東京都新宿区高田馬場
学歴:日本大学芸術学部美術科彫刻コース抽象表現研究室 早稲田大学理工学部建築科夜学コース 修了
略歴:1992年 東京アドデザイナーズ株式会社入社 グラフィックデザイナーとして広告制作業務を担当・博報堂に出向
   1994年 株式会社PAOS入社 CI・VI企画開発室にてプランニング業務を担当・主にアジア地域
   1995年 フリーランス・プランナーとして独立 Newser&Vaser Design Studioとして活動開始

―清水九規(しみず ちかみ)―   生年月日:1934年生まれ
現住所:山梨県北杜市高根町
略歴:1993年 高根町役場職員 退職
   1996年 浅川伯教・巧を偲ぶ会 創設
   現在は浅川伯教・巧を偲ぶ会 事務局長

―高崎宗司(たかさき そうじ)―   生年月日:1944年 茨城県水戸市生まれ
現住所:山梨県北杜市長坂町  学歴:1970年 東京教育大学大学院修士課程(日本近代史専攻)中退
略歴:1970年〜1986年 「思想の科学」社に勤務。雑誌編集等に従事
   1986年〜現在 津田塾大学国際関係学科教員
主な著書
2005年 高崎宗司・深沢恵美子・李尚珍共著「回想の浅川兄弟」草風館
2005年 高崎宗司・和田春樹共著「在日朝鮮人の北朝鮮帰国問題」平凡社
2005年 高崎宗司・朴正鎮共編著「検証・日朝関係60年史」明石書店
2004年 「検証・日朝交渉」平凡社新書
2003年 浅川巧著・高崎宗司編「朝鮮民芸論集」岩波文庫
2002年 「植民地朝鮮の日本人」岩波新書。韓国版は歴史批評社より刊行予定
1996年 「検証・日韓会談」岩波新書。韓国版はチョンス書院
1993年 「『反日感情』―韓国・朝鮮人と日本人」講談社現代新書
1990年 「『妄言』の原形」木犀社。韓国版は「妄言の系譜」と改題しハヌル
1982年 「朝鮮の土になった日本人―浅川巧の生涯」草風館 韓国版はトゥレと暁亨とから2種類出ている

―舩木上次(ふなき じょうじ)―   生年月日:1949年生まれ
現住所:山梨県北杜市高根町  学歴:1970年 日本大学法学部中退
略歴:幼少の頃より「清里の父」といわれた故ポール・ラッシュ博士と共に過ごす。
   1972年 清里で初めての喫茶店「ロック」開店
   1977年 萌木の村株式会社を設立 代表取締役に就任し現在に至る
   ホテル、オルゴール館、地ビールレストラン、工房等の事業を中心に萌木の村を成長させる。また現在各種の団体活動を通じ地域の活性化に奮闘中。特に田舎から世界へ文化の発信をとの考えから始めた野外で行う本格的なクラシックバレエ「清里フィールドバレエ」は清里の夏のビッグイベントとなり地域に定着。
   2002年3月 地域経済総合研究所主催地域経済賞「ふるさとスピリット賞」受賞
   2003年3月 内閣府国土交通省主催による第二回観光カリスマ百選に認定される
主な役歴:山梨経済同友会幹事  医療法人銀門会評議委員  財団法人キープ協会評議委員
     山梨メセナ協会理事  阪神電気鉄道株式会社「ホール・オブ・ホールズ六甲」顧問
     大分県竹田市「久住さやか」オルゴールオーナー  財団法人堀江オルゴール館理事

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