◆白磁の人・浅川巧を語る◆

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 2004年7月3日の甲府盆地は、34度を越す真夏日だった。朝鮮の人々と美を愛し、朝鮮と日本の架け橋となった「白磁の人」浅川巧を語る作家・江宮隆之さんの講演会が、山梨英和中学・高等学校グリンバンクチャペルで行なわれた。

「当時どうして浅川巧は、韓国で生きられたのか。日韓の歴史を始めから、見る目を持たねばならないと考えた。私は日本軍部の閔姫暗殺の謀略から始まった、日韓併合という歴史の暗部を知った。韓国人に対しては、日本人として償えない罪があるということ、韓国人が謝罪を求めるのも当たり前であると思うようになった。韓日の歴史的背景を学ばなければ、白磁の人淺川巧の原点が見えてこない。」と250名以上の聴衆の前で、江宮さんは熱く語り始めた。

これまで日韓関係がギクシャクとするのは、いつもお互いの歴史認識の学び合いが足りていなかったからである。無学であったが為に無関心を装い、避けてきたためである。

よく韓国の人は日本人に対し過去の歴史に対し謝罪を求めるが、お互いに反省をし、過ちを正し二度と過ちを繰り返さない、伯仲の兄弟となろうという精神に至るべきである。そうすることが過去をより良い形で精算し、両国の未来のためになることだと思う。

浅川巧が何故今も韓国の人々に愛されているのか。我々の心に生き続けているのかという答えは、過去において彼が既に、国際親善を体現していた事にあるのではないかと思えてならない。見上げず、見下げない視線こそ普遍の価値ある精神である。

 江宮さんに続いて英和高校1年の椙村彩(すぎむらあや)さんが「浅川巧を調べて」の講演をした。椙村さんは浅川巧の故郷と同じ高根町に住んでいる方で、中学2年生のとき渡韓し、浅川巧の生の軌跡を著した「日韓交流のさきがけ----浅川巧」(搖藍社刊)を出版された。

講演はその出版されるまでの報告で、10代の青少年が瑞々しい感性で、新しい韓国を浅川巧が生きた時代と、その生き様に共感を寄せていった話をされた。一条の光を見るようでこれからの日韓関係の展望を抱いた。

最後に松本市在住の在日二世李春浩君が話された。
江宮隆之著「白磁の人」(河出書房新社刊)を読み、感動し映画化を企画したという。山登りで言えば7合目まで進んでいると、活動された経緯の報告があった。

彼がお願いをしている山田洋次監督と私もお会いしたが、浅川巧を立派な人であるといって撮るのでは、映画化はむずかしい。こんなえらい人がいたのかという驚きで心動かされたと、監督は前向きに考えている様子であった。

浅川巧の精神、哲学が何であったか、人間の価値が問われ教えてくれる映画化を、私は期待している。

「浅川巧を語る」講演を聞いて歌を詠んでみた

朝鮮で 普通に生き来し 巧公
歴史が教える 誠心の人       正雄